2014年度大会

第9回研究大会(2014年開催)のお知らせ

日時: 2014年6月7日(土)、8日(日)
場所: 東京医科大学

参加費

非会員: (1日につき) 1,000円
正会員: 1,500円
学生・院生: 500円
懇親会: 4,000円

タイムテーブル

1日目 2014年6月7日(土曜日)

11:30 – 受付
12:00 – 12:45 総会
13:15 – 15:40 一般研究発表
16:00 – 18:00 若手シンポジウム
18:30 – 20:30 懇親会

2日目 2014年6月8日(日曜日)

09:30 – 受付
10:00 – 12:00 シンポジウム(前編)
12:00 – 13:00 昼休み
13:00 – 16:30 シンポジウム(後編)

大会テーマ

「成長・競争社会と〈居場所〉」

シンポジウム趣意書

現在、アベノミクスのかけ声のもと、〈いわゆる〉失われた20年を取り戻すべく、経済成長 を推し進めるさまざまな政策が打ち出されている。このことが人間や社会にどのような影響を及ぼすのかを考えることも必要であるが、こうした政策がとられる ことの背景にある暗黙の了解(いわゆる経済成長と競争を是とする考え方)が何を意味しているのかを問い返すことがさらに必要となるだろう。
アベノミクスには、よく言われるように、生産性の向上が雇用環境を改善するという考え方がある。大企業が生産性を向上させ(その中には人件費の削減も含 まれているのだが)国際競争力をつけ成長した結果としてその恩恵は一般の働き手にももたらされ、賃上げが起こるというものである。しかし、生産性が低い部 門(たとえば農業など)は切り捨てられてもよいのか、あるいは国際競争力を持たない(持つことができない)人々は、こうした意味での成長と競争に彩られた 社会の中で居場所を失ってもよいのか、という疑問が生まれる。失われた20年とは何を意味しているのであろうか。豊かな自然、地域社会の結びつき、支えあ う仕組みなど、生活の基盤となるものが失われたということではないか。自然環境破壊や、貧富の格差、包摂と排除は急速に進んだように思われる。このことを 推し進めてきたのが、〈いわゆる〉成長・競争社会であったのではないか。成長・競争社会がもたらすものは貧富の格差の無限の拡大であるという指摘は、19 世紀の初めにヘーゲルがすでに行っている。私たちは〈いわゆる成長・競争〉を括弧にいれて、あらためてこの間失われてきたもの、新たに再生されるべきもの を考えていく必要があるだろう。経済成長なき社会のポジティヴな意味も考える必要があるだろう。地球は資源だけでなく、生態系としての限界に達している、 ということが言われている。また雇用の流動化と人件費の削減やグローバル人材(競争力を持った人材)養成の急速な推進は、人間的な限界(失業・非正規雇用 の増加、社会的排除、精神疾患・自殺の増加など)に達しているのではないか、とも考えられる。このことは、教育や学校の中での排除や選別、あるいは引きこ もりなどの問題にまで広がっているように思われる。東日本大震災をきっかけに起こった原発事故の問題は、いわゆる経済を成長させる社会ではなく、それとは 異なるライフスタイルや仕組み(相互扶助や分配や承認の仕組みなど)を構想するきっかけを与えたはずである。
さて、人間的な限界を示しているものの一つに、人間の居場所の喪失という問題がある。居場所とは、人が、世間、社会の中で、落ちつくべき場所、安心して いられる場所ということである。もちろん住む場所も含まれるが、自尊感情や自己肯定感、安心感や帰属感などが持てる空間である。共感や承認に基づく時間と 空間が保てる場といってもいいかもしれない。人間は、社会的存在として、どこかに自らの居場所を求める(たとえば若者のネット空間など)のではないか。し かし、競争を強制される成長社会(管理社会・監視社会)の中で、こうした場を持つことが難しくなっている。あるいはこうした場を持てたとしても、それ自体 が管理と監視の枠組みに取り込まれてしまう。成長には成熟するという意味もある。人間の成熟をもたらす場としての〈居場所〉とは何かを問うという視点か ら、改めて成長・競争社会のあり方を問い直すことができるのではないか。
シンポジウムでは、経済・教育・哲学の視点から、この問題に迫っていきたい。

大会実行委員長 片山 善博

司会
片山 善博 (日本福祉大学・哲学)
三浦 永光 (津田塾大学名誉教授・哲学)

講演者 (五十音順)
荒木田 岳 氏 (福島大学・地方制度史)
太田 明 氏 (玉川大学・教育学)
北見 秀司 氏 (津田塾大学・哲学)
玄田 有史 氏 (東京大学・労働経済学)

 

若手シンポジウム

1日目 2014年6月7日(土曜日)16:00~18:00

若手シンポジウムテーマ

「現代社会における子どもと環境のあり方」

若手シンポジウム趣意書

本シンポジウムは、子どもをめぐる諸問題を題材とするが、たんに「子ども論」「子育て論」 を論じる場を目指しているのではない。そうではなく、目指すのは、子どもという存在や子育てという営みについての様々な問題の検討を通してこそ見えてくる ような、われわれの社会の持つ問題点と可能性を言葉にしていくことである。菅原氏は、司法における近年の家族法解釈の変化を鍵にして、今日の「家族」的関 係をどう捉えられるのかという問題提起をしている。東方氏は、子どものいる生活空間と都市化の関係を切り口に、「自発的な自己抑圧」という精神の自己規制 の深刻さを問題化する。増田氏は、人間がその生涯で他者と「居合わせる環境」が孤立無縁にならないための倫理として、自己完結した近代的個人の倫理ではな く、時間性や場所性を備えた倫理のあり方を模索し、そうした倫理への問いを子育ての根幹に位置づける。七星氏は、子育ての経験を複数の人びと(いわゆる 「夫婦」やパートナーを含む)で共有する意味を、子育て負担の軽減としてだけでなく、非暴力の文化形成の原動力として見直せるかどうか、その可能性を探求 する。社会にとっての子どもの意味は、「子どもの誕生」と呼ばれる近代が始まって以来ずっと議論されている問題ではあるが、新たなアップデートを必要とし ていると筆者は感じる。子どもにすこしでも関わる人びとが日々感じている実感と、新しい社会状況の考察から練られる新しい思考が平等に交流することこそ、 今後の子どもをめぐる問題の解決の上でも、社会の新しい展望を持つ上でも必要となってくるはずだ。本シンポジウムでは、法・心性・環境倫理・平和のための 哲学、これらの領域を横断しながら、子どもにまつわるありふれた経験の意味を思わず見つめ直せるような、そしてわれわれの社会のあり方をもう一度見直せる ような発見ができる時間になればと願っている。

若手シンポジウム司会 高橋 在也

司会
高橋 在也 氏 (東京農工大学非常勤講師・社会思想史)

講演者 (発表順)
菅原 由香 氏 (日本文化大学非常勤講師・法学)
東方 沙由理 氏 (立教女学院短期大学非常勤講師・環境思想)
七星 純子 氏 (千葉大学大学院博士課程・ケア論)
増田 敬祐 氏 (東京農工大学非常勤講師・環境倫理学)

 

一般研究発表

1日目 2014年6月7日(土曜日)13:15~15:40

A会場『現代社会・経済』
座長
柳沢 遊 氏 (慶應義塾大学・経済学)
西原 誠司 氏 (鹿児島国際大学・経済学)

A‐1.「哲学者ヘーゲルの方法―現代経済学批判への応用の可能性」
佐野 正晴
A‐2.「「自由」と「規制」―概念の統一を求めて」
漆田 典子
A‐3.「異文化交流において蘇る古典」
古川 範和
A‐4.「E. F. シューマッハーにおける現代経済学の人間学的考察」
三浦 永光

B会場『教育・法制度』
座長
近藤 幹生 氏 (白梅学園大学・保育学)
阿部 信行 氏 (白鷗大学・法哲学)

B‐1.「子ども・若者の成長にともなう学びに対する期待の変化にそくした学習指導法について」
岩田 好宏
B‐2.「従来型「第三の道」の再検討―小玉重夫の「教育の公共性」論の意義と限界」
金子 聡
B‐3.「トマス・ホッブズの国際関係思想―国際平和論の視点から」
大平 道広
B‐4.「年長少年に対する死刑」
菅原 由香
B‐5.「「日本国民」の資格と血統主義の採用―国民統合における家・戸籍・国家の連繋」
遠藤 正敬

C会場『メディア・経験』
座長
木下 康光 氏 (同志社大学名誉教授・文学)
下地 秀樹 氏 (立教大学・教育学)

C‐1.「教育人間学におけるNarrative Inquiryの可能性」
田中 昌弥
C‐2.「コミュニケーション技術としての3Dプリンタ―ベンヤミンとボードリヤールの視点から」
吉田 健彦
C‐3.「人はなぜ洞窟で絵を描き始めたのか―絵画と現代」
横湯 久美
C‐4.「人間と経験―イマヌエル・カント『純粋理性批判』における総合の方法を通じて」
永谷 敏之

D会場『環境・自己家畜化』
座長
長谷場 健 氏 (日本医科大学・社会医学)
戸田 清 氏 (長崎大学・環境社会学)

D‐1.「日本の「場」の思想」
福井 朗子
D‐2.「〈自己家畜化〉論の環境哲学的展開の可能性を探る―「生命のフェティシズム」批判の問い直しを通じて」
穴見 愼一
D‐3.「人類の家畜化と戦争―「家畜化した文明人は平和主義者たらざるをえない」というフロイトのテーゼをめぐって」
飯岡 秀夫
D‐4.「『自然真営道』「大序」巻における人の生死の扱われ方―安藤昌益の自然における人間の位置づけのために」
岩村 祐希