総合人間学会の設立(2006年)の際に表明された「設立趣旨」から10数年が経ち、この間に大きな社会的事件や科学・技術の急激な発展があった。現代が、人類史的に大きな転換の時代であることが一層多くの人々に自覚されるようになり、未来の人間と社会のあり方への関心が高まりつつある。歴史的文書としての「設立趣旨」を保存するとともに、その内容の重要性を踏まえつつ今日的に深め共感を得る内容にし、2020年代を見据えた学会趣旨が必要と考えて、以下の文書を作成することにした。
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趣旨本文
~ 背景 ~
人類は高度の物質文明を発展させながら、いたるところで自らの生存基盤であるエコシステムを破壊し、自らの墓穴を掘りつつあるかに見えます。また多様な民族・文化を受け入れる共生社会の理想を一方で掲げつつも、大量の破壊兵器を作り続け、非人道的な殺傷を克服できず、再び排他性や力の優越性の世界に戻りかねない事態に陥りつつあるかのようです。世界や地球をも作り変える強大な力は、自らをも変質させかねない落とし穴を作っています。
近年、急速に発達したバイオテクノロジーを使って、これまでは「神の領域」とされていた遺伝子操作を行ない、中国ではゲノム編集による人間の誕生が行われたと伝えられています。他面で、IT革命はいまや「デジタル革命」と呼ばれるようになり、インターネットや人工知能の急速な発達は、労働のあり方をはじめ社会の様々な領域に大きな影響を与えようとしています。かってない便宜を享受しながらも、それらの道具にふりまわされて自己を見失い、新しい犯罪やリスク、複雑な人間関係や格差拡大などに悩まされています。こういったテクノロジーの発達によって近い将来、人工知能が人間を支配するようになるとか、或いは、富裕層は「神のような人間」になるのに対して、多くの人々は労働を奪われて「無用者階級」になるというようなことさえ一部の論者によって語られています。
人類による地球環境の変容は極めて大きく、最近は「人新世」(アントロポセン)という言葉が語られています。これは、最終氷河期が終わった約1万年前に始まった完新世に続く新たな地質年代を指す言葉として提案されていますが、人類による地球環境の変容は、地質年代の新名称が必要となるくらいの巨大なものになりつつあります。
こういった事態は、改めて「人間とは何か」という深刻な問いを私たちに突きつけています。さらに最近の急速なグローバル化は、いわゆる多くの「世界問題」を発生させ、内外のいたるところで社会的緊張や混乱を招来しております。これらの「世界問題」は、現代の人類をこれまでにない重大なターニングボイントに立たせており、本格的な解決を図らなければ、人類と文明の存続を危うくしかねません。
~ 問題 ~
上記の諸問題にはそれぞれに特有の原因が考えられますが、その奥には共通の原因として、人間の欲望や意志のあり方とともに社会・経済・政治の複雑化と高度化が存在しています。現代人が直面する文明の諸矛盾は、ほかならぬ人間自らが作り出したものに自ら支配されるという「自己疎外」に根ざしていると言っても過言ではないと思われます。”汝自らを知れ”と言う古代ギリシャの神殿の託宣は、今日にあっては、新たな総合的な人間学の探求を要請していると、私達は考えます。
「自らを知る」という課題は、上記のような文明論的問題にとどまらず、物事を考える全ての人々の生き方に関わる問題でもあります。現代生活が豊かで便利で複雑になり、人々が日々の多忙な生活に追われ、過剰な情報や仕事や目前の雑事の中に埋没し、「生きる」ことの意味を深く考える時間さえ持ちえません。これも、現代人が直面している、非常に大きなパラドックスであり、一種の疎外現象でしょう。
私達は、こういったパラドックスや疎外現象をもたらしている社会的要因や社会システムにも注意を向ける必要があるかと思います。学会設立(2006)以後に起こった大きな社会的事件として「リーマンショック」(2008)がありますが、これは、グローバル化した資本主義の問題性を多くの人びとに改めて考えさせるものでした。ソ連・東欧諸国の崩壊によって、「資本主義の勝利」や「歴史の終わり」が語られましたが、最近は一転して「資本主義の限界」や「資本主義の終焉」などが語られるようになりました。私たちは、人間存在としての自らへの反省と同時に人々の織りなす社会のあり方も深く考える必要があるように思われます。本学会はシンポジウムなどで経済成長主義を批判し、過度の情報化・工業化でなく、むしろ農林水産業の復権や地域社会の再興を重視することが人間らしい持続可能な社会を構築する上で重要であることを議論してきました。また様々な格差・差別を排し、障がい者や外国人や女性など社会的に弱い立場になりがちな人々を支える共生社会の実現が重要であると考えてきました。
学会設立以来、人間を全体として見直し、文明のありようを根底から再検討するために現代の諸科学や哲学・思想さらには文学・芸術の評論などの精華を結集して、自由で心ゆたかな共同討議の場を作ろうと努めてきました。そして、新しい人間学の創造を識者に訴え、共同研究を行ってきております。これは、きわめて困難な課題であり、20世紀初頭、すでに鋭敏な識者たちは、特殊科学がますます増大する反面で「人間存在の本質」はむしろ蓋い隠され、今日ほど人間が問題になった時代はないと指摘しました。
この20世紀から21世紀にかけて物理学・生物学・電子工学・脳生理学・宇宙科学、等々の諸領域で生じた“科学技術革命”は、旧来の人間観・世界観の変革を促すような新知見をもたらしました。結果、自然環境や社会・世界に対する人間の力が飛躍的に拡大した一方、皮肉にも人間自身に関する統一的把握はいっそう困難になっております。この歪んだ傾向はこれからも強まり、人間に対する全体知は、積極的にそれを求めない限りますます遠ざかる事になるでしょう。逆説的ではありますが、それだからこそ、“人間と世界”の全体像を得るための研究と討議の場が、これまで以上に必須となっていると言わねばなりません。
~ 多くの方々の協力 ~
この仕事は、研究・討議の組織だけ考えても、大変な難事であります。方法上の観点からも、全体論的把握には、検証不能の領域に踏み込んで科学的認識の範囲を逸脱するという難点もあります。しかし各学問分野が還元論的・分断的な個別の研究にとどまって、人間と世界の全体像を見失う今日の問題状況の克服をめざさない限り、新たな人間学の構築には至らないでしょう。さしあたりは、各分野での個別の研究を積み重ね、その中から人間認識に不可欠な知見を拾い出し、それらを体系的に整序する作業をくりかえすことで、全体像に接近することが求められましょう。そうした分析知の集合化のみならず、さらなる総合知としては理知的なアプローチのみならず、文学や文化・宗教・芸術活動、ケア等を含む感性・心的・身体的アプローチまでもが求められることでしょう。
上記に述べた課題を実現するために総合人間学会を多くの方々の協力のもとに発足させ、私たちは大会シンポジウムや研究誌の発刊、研究会・談話会などを通じて、時々の課題も受け止めつつ、本学会の発展に努めてまいりました。改めて、研究者・教師・文学者・医療関係者・宗教家などの専門諸家のみならず、老若男女を問わず同じ志を抱く多くの一般の人々に、参加と御協力をお願いする次第であります。